2012年 9月16日 更新

江戸東京博物館

東京の交通100年博

アップが大変遅くなりましたが、昨年の9月8日、江戸東京博物館で

開催されていた「東京の交通100年博」を見に行きました

そのあしで、東京スカイツリーまで行きました

 

江戸東京博物館へは、千葉からは総武線両国駅が近いです

昔、総武線はここから蒸気機関車が出ていました

その旧ホームが下の写真です(ホームは写っていませんが)

  

電車ホームから見える旧ホーム                   両国橋の絵なども見られます

 

  

東京の交通100年博                            当時の電車にも乗れます

 

  

運転台も間近に見られます                      車内広告も当時のまま

 

  

   ササラ電車(除雪車)の展示もありました         雪をかくのは竹ヒゴです これがくるくる回るようです

 

ササラ電車の解説

 

  

スカイツリーに向かうため外に出ると「言問(こととい)橋の欄干と縁石」の碑が目に付きました

看板には、下記の記事が

言問橋は、1928年(昭和3年)に完成した、いわゆる震災復興橋梁の一つで

1945年(昭和45年)3月10日未明の東京大空襲の際、浅草方面から向島方面へ避難しようと

する人々とその反対側に渡ろうとする人々が橋上で交叉し、身動きがとれない状態となった

人だけでなく荷車やリヤカーも通行を妨げた

そこへ火が燃え移り、橋上はたちまち大火炎に包まれ

橋上では逃げるすべもなく多くの市民が焼死した

1992年(平成4年)の言問橋の改修工事で当時の欄干と縁石が撤去されることになったため

東京大空襲の被災資料としてその一部をここに展示している

その先では、こんなものも(右の看板)も発見

「置いてけ堀」のいわれ

東京も歩いているといろいろおもしろいものの発見があります


またまた、その先で「竹久夢二 震災スケッチ展」なる看板を発見

ここは、都立横綱町公園で公園内の復興記念館で開催されていました

震災と言っても夢二の頃ですから「関東大震災」です

2011年3月11日の「東日本大震災」ではありません 念のため

  

「関東大震災」 

1923年(大正12年)9月1日午前11時58分 マグニチュード7.9の地震が発生しました

死者 99,331名 負傷者 103,724名 行方不明 43,476名

家屋全壊 128,266戸 家屋流失 868戸 家屋焼失 447,128戸

被害は、東京、神奈川 静岡 千葉 埼玉 山梨 茨城の1府(当時東京は「府」だった)6県に及んだ

当時243万人の人口の東京市の被害は、全被害の約40%に及んだ

家屋の倒壊に加え、直後に発生した火災で多数の焼死者を出したことが、災害の様相をより悲惨なものにしました

以上、上写真の解説より

  

展示写真は、撮影禁止のためありません

夢二はありませんが、震災写真等(当時の焼けたものの展示などもある)は常設なのでいつでも見られます

スカイツリーへ行くときにでも寄ってみてはいかがでしょうか(入場無料)

江戸東京博物館を国技館と反対側へ出て、スカイツリー方向へチョット歩くと左側に公園がある

 

スカイツリーへ

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